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ぴぴとの出会い
今から6年前の2002年8月、近所に出来たばかりのホームセンターに併設されたペットショップで、
インコのヒナがちいさなプラケースにいっぱい同居しているのを見て、私はある思いにかられ、その場に立ち尽くした。
そのちょうど1年前の夏、青い迷いセキセイを保護した出来事を思い出したのだ。

それは2001年の夏、盆もようやく終わろうとしていたある日の昼下がり、住んでいるマンションのベランダの窓に、ばさささっという音と共に存在感のある影が横切った。ちょうど遊びに来ていた両親が「今なんか飛んできたで」とベランダを覗いたところ、青い鳥がいるという。私も見るとそれは「セキセイインコの青いやつ」。その頃の私の知識といったら、セキセイインコといえば青いのと黄緑のイメージしかなかったのだ。
その「セキセイインコの青いやつ」はベランダの手すりに掴まって部屋のほうをじっと見ていた。毛艶もよく綺麗な鳥で、迷い鳥であることは明白だ。とりあえず保護しようと思い私はベランダにそっと出た。家の中にあるもので唯一鳥のエサになりそうな「黒ごま」を手にのせ、チ-チ-と差し出すと、やはり腹を空かせていたのだろう、初対面の人間にもかかわらず、すぐさま私の手に乗って、せっせとごまを食べはじめた。そのままそーっと後ろ足で家の中に入り扉を閉め、無事捕獲を完了。
扉を閉めて鳥が室内に入ると、部屋の中は不思議な高揚感に満たされた。
一般的に“ペット”と呼ばれるものを飼ったことが無いに等しかった私達家族は「幸せの青い鳥」がやってきた!と喜び、すぐにケージや餌などを購入しに行き、とりあえずしばらくはうちで世話をしていくことにした。
近隣で迷子鳥捜索願いは出ていないか、とネットの掲示板や街角の貼紙をチェックしながら、セキセイインコの正しい飼い方も色々調べていくうちに、私は小鳥を飼う楽しさにどっぷりハマってしまっていた。
しかしそうこうして1ヶ月が過ぎた頃、私はその大切な「青い鳥」を、不注意から逃がしてしまったのだ。
短い間だったが様々な思い出もあり、元の飼い主さんを探して返してあげる事も出来ずにまた逃がしてしまったのも悔やまれ「今頃どうしているだろう、人に慣れたインコは野生ではエサを取る事は出来ないはず」と押し寄せる心配と後悔が後を絶たず、その小さくて愛らしい姿を思い出しては毎日泣き暮らしていた。
それを家族が心配して、新しい鳥を飼えばいい、とあちこちの小鳥のショップなどに連れて行ってくれたのだが、何故かヒナや人慣れした手乗りインコはどこにも居なくて、「荒」と呼ばれる人慣れしていないセキセイの成鳥は居たのだが怖くて触る事も出来ず、結局空っぽのケージを悲しく眺め続けながら1年の時が過ぎていったのだった。


そんな1年前の出来事を思い出し立ち尽くしたホームセンターの一隅で「1年前はあんなにヒナを探しても居なかったのに…」と少し皮肉に思いながらも、プラケースを覗くと、スミっこのほうで、まだ毛がところどころ生えてない感じの青いセキセイインコのヒナが、2回りほども大きなオカメインコのヒナにつっつかれて、ぴゃーぴゃー半泣きになっていた。
その姿はぼろぼろっとした外見と相まって非常にみじめだった。
「オカメはすぐ居なくなるやろし、あんたももうすぐイイ人に買ってもらえるで。それまで頑張れ!」
とぼろぼろの青い子に念じながら、
私はというと、キレイに羽根の生え揃っている元気そうな珍しい紫色の子に目ぼしをつけた。
鳥を飼うのはまだまだ初心者レベルの自分、弱そうな個体を可哀想だというだけで気軽に飼う事は、飼う方にも、飼われるほうにも決して良いことではないと思ったからである。
インコをお迎えするかどうかは妹に相談してみないといけないので、その日は一旦帰途についたのだった。

次の日、妹に了承を得、二人でホームセンターに向かうと、昨日のぼろぼろの青い「あの子」は、
やはりケースの角で、今度は直立してぴゃーぴゃー泣いていた。胸のところの羽毛もハゲている。
その姿は昨日と変わらず非常に哀れであったけれど、
やはり私は元気な個体を飼わなければ、と心を鬼にして他の子を探すと、昨日の綺麗な紫の子はもうそのケースにはいなかった。
前日は小鳥のヒナのチラシセール日だったらしく、
よく考えるとプラケースにいたヒナの数は昨日に比べ半分以下に減っていた。
「やはり珍しい色の子はすぐ売れてしまうんやな、昨日の時点で予約しとけばよかった…」
と落胆したが、せっかくのお迎え決心の機会、紫の子でなくてもヒナはまだ居るのだから
他の子を選べばいい、とまたケースに目をやった。
ケース奥の隅っちょにはやっぱり青いあの子が直立状態のまま今度は鳴かずにぼうっと佇んでいた。
やたらに気になる奴だけど、胸以外にもところどころにハゲがあるし、おまけにクチバシに黒いシミがある。
身体が弱いんじゃないかと疑われるのでやっぱり無視して、
青い子の手前にいた綺麗な黄色の子でいいかな、と妹と相談し、
店員にあの黄色い子を、と告げた。
若いアルバイト風の女性店員はごそごそとプラケースに手を入れて、
私の手の上に、1匹のヒナをちょんと載せた。
そこには何故か、頼んだ黄色の子ではなく、
昨日から心配していたぼろぼろの青い「あの子」がぷるぷる震えていた。
「黄色の子は少し大きいんでもう飛ぶかもしれないから出せないんです、でも、
この子ならまだ飛べないし、このくらいからだと、よ く な つ き ま す よ。(ニコォ)」


セール中のその命は手の上でとても軽くて、少し暖かかった。
クチバシが黒いのはまだ幼いせいらしい。みすぼらしく見えるのは身体が弱いからではなく、
まだ羽毛が綺麗に生え揃っていないからで、
特に<そのう>という鳥特有の消化器官がヒナの場合は胸のあたりに大きく突き出しているので、
胸の中央が禿げているのは、まだ生後間も無い、というれっきとしたヒナの証しだった。
妹は、私の手の上でぷるぷるしている小さな青い鳥を見て、
(こんな事されたらこれ持って帰るしかないやん…。)と思ったらしい。
私はというと、あったかいヒナを手の上に乗せながら、
「妙に昨日から気になると思ってたけど、前の日に一番先に目についた時点で、店員さんにこのように勧められることは逃れられない運命だったのだ。」と、その縁を受け入れようという気になっていた。
運命には抗えない。
だって、黄色い子をって言ったのに、手に乗せられたのはこの青の子。
奇しくも一年前に逃がしてしまった子と同じ色と柄。
そう、この状態は運命以外の何ものでもないのだと。
それでも「…はい、じゃあ…。これにします。」と何故だか気乗りしない声で告げた。


店員は餌のあげ方などを簡単に説明したのち、持ち帰りの準備をはじめた。
店の奥に目をやると、持ち帰り用の小さな紙箱(ハムスター、昆虫兼用)に入れられるのを嫌がるように、ヒナの足がジタバタともがいているのが見えた。
急になんだか自分が奴隷商人にでもなったような気がして落ち着かなかった。
ごそごそと動くのが感じられる小さな紙の箱を持って足早にレジに向かう。
箱に貼られているバーコードにレジ店員が機具をあてると「ピッ」と音がした。
「950円になります。」私は1000円札を差し出し、50円のおつりをもらった。


生まれてはじめて命をお金で買った罪悪感と、身近に生物が居る事への高揚感がないまぜになった状態で帰途をたどった。
でも、もう、あの空っぽのケージを見なくて済む。
あのカゴの住人を1年かけてようやく見つける事ができたのだ。
名前は決まっていた。
「ぴぴ」。1年前に逃がしてしまった青い迷子のセキセイインコと同じ名前だった。



ぴぴ初日箱入り2
ぴぴがきる家の一員になった瞬間。

ぴぴ初日箱入り1
ここはどこ~?
今日からここがぴぴちゃんのお家です。

ぴぴ初日あわ玉1
店の人に言われた通り、「あわ玉」(ムキ餌)をお湯でふやかして与えたけど全然食べません。
お店の人が言う事は間違ってる事が多いということをこのあと知りました。

ぴぴ初日あわ玉2
この二日後には飛べるようになり、餌も乾いたものを一生懸命食べてくれるようになりました。


こんな風にお迎えしたぴぴが亡くなってしまったのは3年前の11月5日でした。
3年とちょっと、という短い間、私達の家族になって楽しい思い出を沢山作ってくれたぴぴちゃん。
ぴぴちゃんが亡くなった2ヶ月後には、フレンチブルドッグのうららが私達の家族になりました。
迷いセキセイだったぴぴちゃんと、その後こうしてお迎えしたぴぴちゃん、この2羽のセキセイとの出会いがなければ、今のうららとの楽しい暮らしを私たち家族は味わう事が出来なかった事でしょう。
人の暮らしに大きな喜びを与えてくれる動物達すべてへ、感謝の気持ちとともにこの記事を捧げたいと思います。
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ぴぴちゃんの泣き虫ボタン
どこかのブログで読んだのだが、ハエなどの虫が自分の回りから離れずにずっと飛んでるのを見ると、亡くなってしまったペットの鳥の生まれ変わりのような気がして駆除できなかったという人がいた。
ある日会社のデスクで小さめのハエが力なく私の回りをぷぃ~~んと低空飛行してい
て、しんどいのかなぁ、と思いながら悲しい気持ちで見守っていたのだが、
職場の同僚がそのハエちゃんをみつけて、おもむろに雑誌を丸めだした。
とっさに、「もう弱ってんねん、あんたが殺さんでも死ぬかもしれんから。」と制した。
その日家に帰ってから妹に、
「もともと虫を殺すのは嫌やねんけど、ぴぴちゃんの事があってからは、
その虫がぴぴちゃんの生まれ変わりで、生きている時のクセで私の肩に止まろうと思っ
て来ているのかもしれんと思ったりして…。」と、ちょっと恥ずかしくなるくらいに
おセンチな事を言ったら、妹はすぐさま
「それはぴぴちゃうで。ぴぴはな、

鳥の時がんばったから次は虫じゃなくて人間に生まれ変わるんやで!」

とピシャリと言い放った。

妹はぴぴに関しては可愛がってはいても私より幾分クールに接してきており、
(とはいえ、ぴぴが亡くなった時には色々と手を尽くしてくれて、一晩中一緒に泣き
明かしてくれたのだが。)
いつまでもメソメソしている私に辟易している感もあったので、その強引な不思議思
想にいささか驚いた。
そしてまた私は泣くのだった。

そうそう、ぴぴは頑張ったからなぁ。
家で元気に飛び回っている時も、私の大切な本をかじってボロボロにした時も、
長い長いお留守番も、孵らないタマゴを必死で温めてた時も。
そして私の不注意で外へ逃げてしまった時、幾日かの放浪の後、親切な人に自ら助け
を求め、そのお宅で猫と暮らしながら一ヶ月後には私のもとへちゃんと帰ってきてくれた。
小さな体で頑張って生きて、私に生きる楽しさを与えてくれた。
最後の最後まで。

原因不明の体重減少と摂取不良のため入院した翌日、
病院に面会に行った時、ぴぴは強制給仕のエサも吐きちらして顔がベチョベチョのボ
ロンチョになっていた。
それでも私の顔を見るなり、その衰弱した体のどこから出るのかと思う程の大きな声
で呼び鳴きをして、
キャリーの扉を開けたとたんに私の手から肩までトテテテテテテッ!と駆け上がり、
家ではいつもそうしていたように、私の肩の上で丸くなった。
そしてベチョベチョの頭とクチバシを私の首元につけてもたれかかるようにじっとし
ていた。
しばらく指で首のところを撫でてやったりして
「ぴぴちゃん、もうちょっとで治るからなぁ、注射痛いけどがんばろなぁ。」と泣き
ながら語りかけた。
自力でエサが食べられなくなってしまった以上、獣医による強制給餌と点滴は避けら
れず、自宅看護は不可能だった。私はぴぴを失いたくなくて、もうちょっと頑張ってほしく
て、肩から離れたがらないぴぴを小さなキャリーに戻し、ぴぴを残して病院を後にした。
その7時間後にぴぴは病院で亡くなってしまった。
最後の面会の時に、もう頑張れないからお家に連れて帰ってほしい、とぴぴは思って
たのかも、
どうせ駄目だったのならずっと居たお家で私達に見守られながら眠らせてやりたかっ
たと思うけど、
その方法が正解だったのかどうかは別にして、とにかく生きる為に出来る事をしてや
るしかなかった。

ぴぴは今、実家の小さなお庭の植え込みで眠っている。
ぴぴちゃんのお友達にと迎えた犬のうららのケージからは、窓をあけるとぴぴちゃん
のお墓がよく見える。
11月5日の命日、まだまだたくさんあってどうしようか悩んでいるぴぴのエサを土の
上に蒔いて、お花を挿した。
私がぴぴのお墓の所に行くと、必ず妹も一緒に来て、「ぴぴ~」と声をかけて手を合
わせてくれる。
-ぴぴちゃん、早いな、もうぴぴちゃんが居なくなって一年たちました。
まだまだ寂しくて泣いてばっかりですがなんとか頑張っていますよ。-
そうやって語りかけていると、うららが玄関でクィーンクィーンと鳴いて、見えない
私達を呼ぶ。
私達がお庭に出たので、お散歩に連れて言って欲しいと思って鳴いているのだろう。
ぴぴとの語らいは早々に切り上げ、玄関でアウアウしているうららのそばに行く。
「うーちゃん、今日はお天気がいいから、皆で車に乗ってコスモス見に行こうな。」
ぴぴを失った悲しみは、うららで癒される事は決してない。
うららはぴぴの代わりではないし、うちの家にはうららという犬が必要で迎えたのだ
から。

最近やっとぴぴの面白い話を思い出して笑ったりする事が少しできるようになった。
でも顔は笑っていても目からは常に涙が出ている。
生まれてから今日まで目から流した水の量の約9割を、この一年で流した。
小さい命への慈しみの心を教えてくれたぴぴちゃんは、それまであまり泣く事の無かった私に泣き虫スイッチのボタンまで作ってくれたようだ。
悲しみは時が経てば癒えるというけど、私はもうこのままずっと泣き虫のままでもいいかな
と思ったりする。


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ぴぴちゃん、こっち、こっちおいで。


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呼ぶと嬉しそうに走ってきてくれたぴぴ。
楽しかった日々。素晴らしい3年3ヶ月をありがとう。


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ぴぴちゃんの毛布
セキセイインコのぴぴちゃんが亡くなってしまったのは、
2005年の11月5日。3才と3ヶ月の短い命だった。
幼い時に文鳥や十姉妹、金魚などを家で飼った事はあるが、
ぴぴは私にとって初めて「小さくて大切な命」として生活を共にした動物になった。
ぴぴはとても面白いインコで、思い出は語り尽くせないほど沢山あるのだが、
通院を始めてからたった1週間で、それも病院で独り寂しく逝かせてしまった事が、
いまだ心に重く、その喪失感がなかなか薄らぐ事がないままに時が過ぎていった。

そしてこの5月5日でぴぴが亡くなってやっと半年を迎えた。

フレンチブルドッグのうららはもともと、
気の強いぴぴの友達として迎えようと思っていた犬で、
うららが生まれた10月、まだぴぴは元気に生きていた。
うららの兄妹たちは沢山居て、
「どの子にしようかな、ぴぴがもし頭の上に乗っても怒らない優しいいい子はどの子かな」
と迷っているうちに、突然ぴぴは逝ってしまった。
ぴぴが居なくなってしばらくは辛くて泣き続ける日々。
もちろんワンコのお迎えは白紙になってしまったが、
その2ヶ月後、ご縁がありうららは我が家の一員になる事になった。

うららがうちに来たのは年末の12月29日。
以来寒い日が続き、おネムの時間には茶色のフリース毛布をかけてやり、
その中でうららはすやすやとよく眠った。
ある日、うららのケージを見ると、いつも掛けてある茶色のフリースが無い。
母に聞くと、あの毛布は毛玉が沢山ついてて古いみたいなのでみすぼらしいし、
お父さんが捨てて新しいのを買ってやれと言って取り外した、と言う。
私は「あれは…。」と言いかけたが、後はいきなり涙が出て言葉が続かなかった。
茶色のフリースは、寒がりのぴぴの鳥カゴに暖を取るためと、
夜眠る時の遮光の意味で購入したもので、
いつもぴぴのケージの傍らにあったものだった。
最後の短い闘病時、辛そうなぴぴがそのフリースに包まれたカゴから
何度も顔を出しては私の元へ寄ってきた光景がよみがえる。
うららを迎えた初日、ベッドだけでは寒そうなうららに、
あるじを失った空っぽの鳥カゴの中に大切に仕舞ってあったフリースを
何のためらいもなく与えた時、
少しだけぴぴを失った悲しみが癒されたような気がした。

幸いフリース毛布は捨てられておらず、洗って干してあった。
初夏を迎え出番はなくなったが、近いうちに毛玉取りで綺麗にしておかなくては。
今年の11月5日にはまたこの「ぴぴちゃんの毛布」にくるまって
すやすやと眠るうららを見る事ができるだろう。


img20060609.jpg
ぴぴ近影

img20060609_1.jpg
毛玉だらけの毛布で眠るうらら


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